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日本代表初選出。どこよりも詳しい加藤恒平コラム

5月25日に発表された日本代表メンバーの初選出選手は4名。宇賀神友弥(浦和レッズ)、三浦弦太(ガンバ大阪)、中村航輔(柏レイソル)ら、Jリーガーが名を連ねる中に、一人だけ初選出の”海外組”・加藤恒平がいた。現在、ブルガリアリーグでプレーする27歳の新鋭MFはどんな選手なのか。FC町田ゼルビア在籍時から取材してきた郡司聡氏が、どこよりも詳しく加藤恒平を紐解く。

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▼始まりは町田で

 W杯アジア最終予選アウェイでのイラク戦を含む”6月シリーズ”を戦う日本代表のメンバー表に見慣れぬ名前があった。MF加藤恒平。現在、ブルガリア1部リーグのPFCベロエ・スタラ・ザゴラでプレーする加藤は、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督いわく、「1年間かけて追跡してきた」選手でもある。

 その加藤は年代別代表などで日の丸を背負ったことはなく、代表歴は皆無に等しい。プレーヤーとしての主なキャリアは2012年に加入したJ2・FC町田ゼルビアをスタートに、2013年の夏にはモンテネグロ1部リーグFKルダル・プリェブリャにテスト生を経て契約を勝ち取り、念願だった海外プレーヤーの仲間入り。その後、ポーランド1部リーグ、ブルガリア1部リーグでのプレーを経て、この”6月シリーズ”で一つの目標だった日本代表メンバー入りを果たした。

 まさに”叩き上げの苦労人”が日本のトップチームにまで駆け上がったストーリーは、”シンデレラ・ストーリー”と言ってもいいだろう。12歳で和歌山の親元を離れて、ジェフユナイテッド千葉の下部組織に加入。千葉の下部組織を卒業したあとは立命館大学に入学し、在学中に二度単身アルゼンチンへサッカー留学。しかし、現地での試合出場は叶わず、失意のまま帰国したのち、千葉の下部組織在籍時代にお世話になっていたFC町田ゼルビアの唐井直GMのコネクションを活用し、2012年2月、町田のトレーニングに練習生として参加した。

 練習生から這い上がり、選手登録をされたものの、当時はクラブのサッカースクールのコーチ業で得られる報酬が収入の一部を占めていた。また、チームメートはマイカーで練習場のある小野路グラウンドまで通っていたが、加藤本人は”自転車通勤”が常。それでも、”ハングリー精神”は人一倍強く、自分の置かれた環境を決して言い訳にすることはなかった。

 当時の指揮官であるオズワルド・アルディレス監督は、卓越したボール奪取力と反骨心の強いメンタリティーに着目し、中盤戦以降は加藤をレギュラーとして起用。3バックのCBやボランチのポジションを務め、最終的にチームはJ2最下位で下部リーグ(JFL)への降格を余儀なくされるが、「プロ選手としてのキャリアは町田で始まった」と本人が自負するほど、この年の経験値はそれ以降の彼のキャリアに多大なる影響を及ぼした。

 オフシーズンにはJFLを戦うクラブ側から好条件で契約延長のオファーを受けていたが、「もっと上のレベルでチャレンジしたい」と町田のオファーを固辞。その後はアビスパ福岡のプレシーズンのキャンプにテスト生として参加した。しかし、選手契約は叶わず、かねてから目指していた海外リーグ挑戦を決断し、モンテネグロでテスト生からルダルと契約。2013年夏、積年の悲願である海外リーグ挑戦という夢を叶えた。

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▼”フロンティア”としての思い

 ルダルでは加入2年目に主力選手として、リーグタイトル獲得に貢献。翌シーズンはルダルが欧州CLの予備予選から出場する権利を取得していたが、「もっと上のレベルで挑戦したい」という思いが強く、ポーランド1部リーグTSポドベスキジェ・ビェルスコ=ビャワに移籍を果たす。しかし、チームが2部リーグ降格を余儀なくされたことでチームを離れ、直近の2016-17シーズンはブルガリアリーグでプレーしていた。

 「加藤はボールを奪ってアグレッシブに戦える」とハリルホジッチ監督が評価しているように、加藤自身のストロングポイントは、ボール奪取力と高い戦術理解度に代表される”サッカーインテリジェンス”。ポーランドリーグでは加入当初、フィジカルコンタクトからボールを奪う彼の持ち味であるプレーが同リーグではファウルと判定される傾向が強いと分かるや、その国の判定の傾向に準じた落とし所を見付けて、シーズン途中からファウルをせずにボールを奪う術を身に付けた。その”順応性”の高さも彼の魅力の一つである。

 また、自分自身が置かれた立ち位置を把握し、自分に何が足りないか、自己分析力から見い出された”その時々で必要なこと”を的確に判断しながら、目標の到達地点への逆算もできるパーソナリティーの持ち主でもある。年齢も30代に近付いていることから、今季を「勝負のシーズン」と位置付け、昨年の12月末には2017年の目標に「日本代表入り」を掲げていた。今回の代表メンバー選出は、まさに”有言実行”だった。

 なお、シーズンオフやウインターブレイクの時期に帰国はしても、完全オフはそこそこに母国でもトレーニングの日々を過ごす”練習の虫”。「むしろこういうトレーニングは日本のほうが集中してできる」と本人も語っているフィジカル強化など、オフを日本で過ごしてもプレーヤーとしてのスケールアップを果たすための努力には余念がない。「プロは体が資本。なるべく体に良いものを摂取したいし、自分がコントロールできるものは自分でしておきたい」と食事は自炊が基本だ。睡眠時間や昼寝・食事のタイミングなども、自らきっちりとコントロールしているというそのストイックぶりは、「自分が良くなるためには時間もお金も費やすべきだし、小さいモノの積み重ねがピッチに出る」という持論からきている。

 昨年末、日本に帰国した折、代表発表の会見でリストアップされている選手の一人として、自身の名前が呼ばれ、実際にブルガリアに日本代表スタッフが視察に訪れてきても、「まだ代表に入ったわけではない」とまったく浮かれる様子はなかった。そして、加藤は以前こう語っていたことがある。

「自分が代表に呼ばれれば、僕のあとに続く人が出てくるかもしれません。できればその道を自分が切り拓きたいという思いがあります」

 自らの力を頼りに、地道にコツコツとプレーヤーとしての階段を一つひとつのぼっていく。アルゼンチンへのサッカー留学で挫折し、Jリーガーから海外挑戦の夢を叶え、”マイナーリーグ”からスタートした海外生活でも、努力次第では日本のトップチームまでたどり着けるーー。まだ代表キャップを刻んだわけではない。一つの目標に掲げているリーガエスパニョーラでプレーしたいという夢もまだ実現していない。それでも、”天井知らず”の向上心を持つ加藤恒平にとって、今回の日本代表メンバー選出は、単なる通過点にしか過ぎない。