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川崎に石渡俊行という人がいた(海江田哲朗)[えのきど・海江田の『踊るアルキバンカーダ!』]五段目

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川崎に石渡俊行という人がいた(海江田哲朗)[えのきど・海江田の『踊るアルキバンカーダ!』]五段目J論プレミアム

タグマ!サッカーパック』の読者限定オリジナルコンテンツ。『アルビレックス散歩道』(新潟オフィシャルサイト)や『新潟レッツゴー!』(新潟日報)などを連載するえのきどいちろう(コラムニスト)と、東京ヴェルディの「いま」を伝えるWEBマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を運営する海江田哲朗(フリーライター)によるボールの蹴り合い、隔週コラムだ。
現在、Jリーグは北は北海道から南は沖縄まで58クラブに拡大し、広く見渡せば面白そうなことはあちこちに転がっている。サッカーに生きる人たちのエモーション、ドキドキわくわくを探しに出かけよう。
※アルキバンカーダはスタジアムの石段、観客席を意味するポルトガル語。


石渡さんの自室はいまもそのままだ。サイコーに楽しそうな遺影。イエーイ?

自分の不手際を呪いながら、出されたコーヒーをすすっていた。昨年12月24日、この世を去った石渡俊行さん(享年45歳)のご自宅である。

2003年の冬、『サッカー批評』という雑誌で、勃興の兆しを見せていた川崎フロンターレを取材し、石渡さんと初めて会った。東京ヴェルディに活動の軸足を置く僕にとって、川崎には地縁がある。

石渡さんは川崎大師の金物屋「忠ぶね商店」の3代目。応援団体の川崎華族を立ち上げた中核メンバーであり、誌面ではサポーター代表の役回りだ。その後、イベントのゲストとして招いたり、電話で何度か話すことがあっただろうか。この度の訃報は新聞報道で知った。

忘れがたき人だった。

ずいぶん前から心身ともに調子がよくないことは人づてに聞いていた。連絡ひとつ入れなかった僕は、いまさら友だちヅラはできない。あくまで僕はライターで、彼はサポーター。書く人と応援する人の淡い関係だ。何かを書き残すことが、自分にできる唯一の弔いだった。

今回、事前に弔問したい旨を申し出れば、受け入れてもらえるだろうとは思った。生前、関わりのあったひとりとして話を聞き、それを材料に記事を1本仕上げる。数々のエピソードをもとに、故人を惜しむというやつである。じつに収まりがいい。

だが、その行為は所詮仕事のため、である。書きたいがため、体裁を整えるがために「お線香をあげさせてください」。それがどうもしっくりこない。取材とあらば大抵のことは何とも思わないが、自分が原稿料を得て生活を成り立たせていることに自覚的にならざるを得なかった。

そもそも僕は信心に欠けるところがある。在りし日を偲び、お墓の前で手を合わせて思いを捧げるといった感性を持ち合わせていない。野辺の霧の向こうに消えた人を、個人としてひっそりと悼む。

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