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テーマ日本代表アギーレ新監督に期待すること、不安に思ってしまうこと

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酔漢ライター・前田拓

2014 08/17  13:01

「正しい」の定義。オセロ時代のメディアが「アギーーーレッ!」と叫ぶ日は来るのか?

毎週週替わりのテーマを肴に複数の識者が議論を交わす『J論』。今週のテーマは「日本代表アギーレ新監督に期待すること、不安に思ってしまったこと」。8月11日に行われた就任記者会見では強い意欲を語った新指揮官への期待値は高まったが、不安も少なからずある。第5回は、かつてサッカー専門誌の編集長として活躍し、現在は雌伏の日々を送る酔漢ライター・前田拓氏に、ネット時代のメディアが抱えてしまった代表報道のジレンマを語ってもらった。「正しい」ことが重視されるそんな時代に思うこととは。



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▼「アギレ」vs「アギーレ」問題
「角(かど)は取られたが、圧勝じゃないか!?」と思ったラスト2手ぐらいから全部ひっくり返されて「だよね!」と心の中で叫ぶオセロでお馴染みのあの現象をなんと呼ぶべきか。

 そんな思いがよぎったのが、私にとっての「アギレ」vs「アギーレ」問題である。

 専門誌系メディアの多くが「ハビエル・アギーレ」と表記してきたのに対し、日本代表監督候補として取り沙汰されて以来、一般紙及びスポーツ紙の多くは「アギレ」と記して譲らなかった。もっとも、同様のケースは長音表記に限っても「ラウール」vs「ラウル」、「カンナバーロ」vs「カンナバロ」等々、枚挙にいとまがない。大方のファンはその違いに気付かないか、気付いたとしても「またか」という程度で気にも留めなかったことだろう。

 ところが、この問題は意外な展開と決着を迎える。8月11日の就任記者会見において、名前の発音を問われた本人自らが回答。すると、同会見の記事を境に、ほぼすべてのメディアが呼称を「アギーレ」に統一したのだ。

 サッカーの本質から遠く離れたコップの中の嵐と呼ぶべき表記問題。しかしながら、この一件には引っかかる部分もある。

 日本サッカー協会が新監督に「ハビエル・アギーレ」を招聘するとニュースリリースしたのは7月24日のこと。つまり協会による「公式表記」が示されても、ほとんどのメディアは「アギレ」の表記を変えていなかった。各社にとって、「アギレ」にはその程度の根拠なり正当性(自社の表記ルールなど)があったのだと思う。

 それが、8月11日に一変したのだ。当の本人から「正しい」呼び名が発声され、記事として拡散した以上、「アギレ」はもはや「正しくない」表記になってしまった、ということだろうか。

▼「正しさ」が強く求められる時代に
 ちょうど某一般紙の「検証記事」を巡る議論がかまびすしいが、メディアの「正しさ」が問われがちな昨今である。

 捏造は無論のこと、事実誤認や整合性、取材・報道時の姿勢に至るまで、とりわけマスメディアは視聴者・読者のチェックにさらされ、問題が見つかればSNSやバイラルメディアによってあっという間に非難のネット世論が形成される。

 過ちに対する批判が可視化されたのは、ネットの功績に他ならない。一方で、「正しさ」に関する価値観や意見の相違で起こり得る批判は、思いの外メディアを萎縮させてしまっているのではないか。

 かつて所属した専門誌の編集現場でも、この数年はネットの反応を想定せずに制作はできなかった。ポジティブにバズることへの期待を抱くこともあったが、多くは炎上に対する分不相応なまでの警戒心だったように思う。いや、炎上とは程遠い数件のクレームをも過剰に警戒していた結果、「下手にツッコまれない」誌面作りのプライオリティーが高まってしまっていたのが実情だ。

 そんな個人的体験を通して見る「アギレ」vs「アギーレ」問題の顛末は、無用な「ツッコミ」を避けんとするメディアの過剰防衛の動きに思えなくもない......穿ち過ぎだろうけど。

▼次なる4年への小さな願い
 新たな4年間の挑戦を迎える日本代表及び日本サッカー界において、私のささやかな期待はこのメディアの問題と無関係ではない。

「正しくない」と断罪されることを恐れるあまり付和雷同、無難な情報発信に終始するメディアが果たして面白いだろうか? 読者に新たな視点や刺激を提供できるだろうか?(反語)。お察しのとおり、そんなマインドを払拭できなかった私の媒体は短命に終わった......。

 自戒を込めて訴えると、アギーレジャパンを巡る言論は侃々諤々であってほしい。メディア側には自信を持って独自の主張を貫くだけの情報量や見識、ロジックが一層必要になる。大変な仕事だが、「正しい」「正しくない」の判断をファンにおもねっていては、ブラジルW杯前の風景を4年後もデジャブすることになろう。「日本、行けるぞ!」一色から「日本、ダメだった!」一色に変わるオセロみたいなメディアはつまらない。

 同時にメディア、ファン問わずサッカー界全体には寛容さを求めたい。自分と異なる見解や態度に対し、「そういう人もいる」と尊重する空気がもっとあっていい。そんな土壌から、より独創的なサッカーメディアが芽吹くかもしれない。様々な言説や態度の多様性があってこそ、日本のサッカー文化は豊かだと胸を張れると思うのだが、4年後はどれくらい変わっているだろうか。

 ちなみに、8月11日の就任会見で新監督自ら発したのは、豪快な巻き舌で「アギーッレ」とも「アギーレッ」とも表記できそうな呼び名だった。ならばいっそ「アギレ」を頑固に貫きつつ、会心の勝利の際には「アギーーーレッ」と文字どおり舌を巻いてみせる、ヘンな新聞が一つぐらいあっても面白いのにナ(そりゃ東スポか)。


前田 拓(まえだ・たく)

1973年、宮崎県生まれ。2000年、イタリアサッカー専門誌『CALCIO2002』編集部にてキャリアをスタート。野球や格闘技、芸能などサッカー以外の様々なコンテンツ制作にも従事した後、『ワールドサッカーキング』、『サムライサッカーキング』編集長を務め、2014年3月に独立。「渡世=ビールサッカーロックンローーール」の熱い思いを胸に間もなく新団体設立予定!

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