J論 by タグマ!

この時期に契約できる監督は「売れ残り」。急いては事をし損じる。ここはリスク覚悟で「待ち」の一手では?

「候補目白押し(?)」の後任人事をめぐる問題について、川端暁彦が語る。

ハビエル・アギーレ監督が解任された。アジアカップの早期敗退を巡る引責ではなく、あくまで「八百長疑惑」による日本代表チームへの悪影響を懸念しての交代だった。果たしてこの決断はどう見るべきなのか。今週の『J論』では複数の識者があらためてこの問題に切り込む。今回は「候補目白押し(?)」の後任人事をめぐる問題について、川端暁彦が語る。

▼氾濫する「お断り」
 ハビエル・アギーレ監督が更迭されてから1週間余り。後任選びが一種のエンターテインメントと化すのは悪いことばかりではないが、しかしどうにも良い流れにあるようには見えない。

 ホドル、ラニエリ、プランデッリなどなど、海外メディアがフリーの監督をリストアップしているかの勢いで「日本代表監督、お断り」の話を伝え、それを日本の報道機関が流すというパターンでの報道が続いている。当たり前の話だが、欧州主要リーグのシーズン真っ盛りのこの時期に「監督探し」をしているチームは少数派。それゆえに、その稀少例であり、一応W杯の常連であり、国としての名前も知られている日本代表監督が「当て馬」になってしまっている感は否めない。

 名前の挙がっている監督のうち、日本サッカー協会がリアルにオファーしている指導者は皆無に近いだろうし、身分照会レベルのことすらやっているか怪しいものだ。「日本が代表監督を探している」という情報が、どうにもうまく使われてしまっている。それもこれも、この時期に監督を探すということがイレギュラーだからに他ならない。

▼「誰か」でいいのだろうか
 アギーレ監督の解任自体は一つの結論として「あり」だと思っていた。アジアカップで結果が出なかったことは厳然たる事実だし、その責任の一端は指揮官にもある(指揮官「だけ」にあるとは思わないが)。八百長疑惑の長期化がスポンサー離れを生むのだとしたら、それも含めたトップの決断を最終的には尊重したいとも思う。

 ただ、解任という結論ならば、アジアカップ直後に続投を明言し、その後に原博実専務理事や霜田正浩技術委員長にTVメディアを通じて解任直前まで監督擁護を語らせ続けたのはミスだったのではないか。もっとソフトランディングの解任はあり得たはずだ。まるで何の計画性もなく急に翻意し、突然決断したかのように見える一連の流れは、正直に言って不可解だった。

 こうして急に始まった(としか思えない)「監督探し」は、果たして奏功するのだろうか。

 もちろん「誰か」と契約に漕ぎ着けること自体はできるだろう。ただ、代表監督という椅子はそんなに軽いモノではない。そのことは今回あらためて痛感したはずだ。「誰か」でいいのかどうか。言葉は悪いし、例外もあるが、この時期に契約可能なコーチというのは、「監督市場の売れ残り」という側面もある。特に計画性もなく解任し、本当に2月頭から探し始めているのだとしたら、「できれば3月の親善試合に間に合わせてほしい」という大仁邦彌会長のリクエストは少々リスキーではないだろうか。

▼急がば回れ
 もちろん、「残り物に福がある」可能性は大いにあるし、イレギュラーな時期だからこそ競争率も低く、思わぬ実力者と契約できる可能性もある。そういう適材と出会えたならば契約すればいいと思うのだが、「始めに3月ありき」で成約を目指すのはリスクが大きいのではないか。「3月の成約を目指して日本サッカー協会は焦っている」と相手に見透かされては交渉力の低下にもつながる。今回の一件で思うところもあるだろう霜田委員長に「3月に間に合わなくても仕方ない」という余裕が与えられているのかどうか気掛かりだ。

 6月にはW杯1次予選も始まるので、3月までに契約を成立させたいという思いは理解できる。ただ、W杯1次予選が暫定監督での試合になってしまうリスクまで踏まえてなお、「焦って契約する」リスクのほうが大きいようにも思うのだ。6月になれば、「監督市場」もオープンになって選択肢もグッと増える。代表監督は焦って決めるような類のものではない。少なくとも現場には、「早く契約しなければ」という過分なプレッシャーが掛かっていないことを願いたい。

川端暁彦(かわばた あきひこ)

1979年、大分県生まれ。2002年から育成年代を 中心とした取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画し、2010年からは3年にわたって編集長を 務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴ ラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『月刊ローソンチケット』『フットボールチャンネル』『サッカーマガジンZONE』 『Footballista』などに寄稿。近著『Jの新人』(東邦出版)。