J論 by タグマ!

知恵と情熱を注いだ3年間。松本を昇格に導いた反町康治流マネジメントに見る、四つの流儀

松本特集に備えて万全の取材をしてきたメガネの男は、反町康治監督のマネジメントに注目した。

11月1日、福岡のレベルファイブスタジアムにおいて、凱歌があがった。松本山雅FCがJ1初昇格を決めたのだ。J2昇格からわずかに3シーズン。老練な指揮官が率い、熱狂的なサポーターに支えられての快進撃の背景にあったものは一体なんだったのか。今回の『J論』では、さまざまな視点からこの初昇格を振り返る。2番目に登場するのはJリーグサッカーキングの青山知雄編集長。松本特集に備えて万全の取材をしてきたメガネの男は、反町康治監督のマネジメントに注目した。

▼反町流を物語るポイントは四つ
 右ひざ半月板損傷の重傷を負いながら、自らのサッカー選手生命を賭して松本山雅FCのJ1昇格に貢献した田中隼磨。その彼をして「監督を信じてここまで来た」と言わしめるのが、就任から3年でクラブをJ1に導いた反町康治監督だ。アルビレックス新潟、湘南ベルマーレに続いて自身通算3度目のJ1昇格を果たした指揮官は、JFLからJ2に昇格したばかりだったチームをいかにして夢の大舞台に導いたのだろうか。

 試合後の記者会見や囲み取材、インタビューで反町監督のコメントを聞いていると、いくつか気付かされることがある。

(1)クラブが背負っているものをしっかりと認識した上で「松本山雅らしさ」を追求する。

(2)サポーターやクラブを支える関係者、そしてフットボールへの敬意を絶対に忘れない。

(3)自分たちの実力を過大評価も過小評価もせず、選手に対して着実な取り組みとアプローチを続け、目の前の一試合、ワンプレーに集中させる。

(4)とはいえ、やや自虐的に口角を上げてニヤリと笑いながらシニカルなコメントを残す。

 ということで、今回は田中隼磨ら選手が信じることができた理由と上記4項目を中心に、サポーターからも「反町反町、男前!」と叫ばれて愛される指揮官とチームの歩みを追ってみた。

▼忘れぬ配慮と感謝
 ソリさん(ここでは敬意と愛着を込めて、そう呼ばせていただく)が指揮官に就任したのは2012年1月のこと。初めて采配をふるったのは、同年1月22日に日産スタジアムで開催された松田直樹さんの追悼試合「松田直樹メモリアル」だった。それ以降、クラブが故人の「山雅をJ1に」という遺志を背負っていることを強く意識し、ソリさんは事あるごとにコメントとして触れてきた。指揮官として「クラブとしてJ1昇格を成し遂げなければならない」と考え、同時にサッカー人として「二度と同じような事故を起こしてはならない」という想いも込めてもいた。

 また、就任前のチームはラフプレーが多く、「松本という教育都市にふさわしくない」と苦情を受けたことからフェアプレーに強くこだわり、選手たちにもクリーンなプレーを徹底させた。2013シーズンにはフェアプレー賞(J2)を受賞。今季も連続受賞が決定的となっている。クラブの歴史をしっかりと理解し、ホームタウンにおけるクラブの存在価値を上げることで多くの共感と支援を受けるようになった。

 人口約24万人という地方都市でチームをサポートしてくれる人を心から大切にし、記者会見の冒頭では常にサポーターへの感謝を口にしてきた。決して珍しい言葉ではない。ただ、幾度となく”アルウィン劇場”と呼ばれる劇的なゴールが生まれ、アウェイゲームをホームスタジアムのようにジャックするサポーターの存在を受け、クラブの存在意義とサポーターの声援が持つ力を組み合わせることで、何度同様のコメントを聞いても、その発言が社交辞令でないことを感じさせられる。アウェイゲームに足を運んでくれたサポーターの人数をちゃんと把握していることも、その理由の一つなのかもしれない。

 また、5戦未勝利という苦難の9月から抜け出して約1カ月ぶりの勝利を収めた10月4日のJ2第35節・横浜FC戦の会見冒頭で、御嶽山噴火にて亡くなったサポーターの野口泉水さんに沈痛な表情でお悔やみを述べ、昇格を決めた福岡戦後の会見でも「天国にいる松田と御嶽山噴火で亡くなった野口さんが抱き合って喜んでいるのではないかと思うと、うれしくて仕方がない」とのコメントを残した。そしてポスターを貼ってくれたお店の人、チームバスの運転手、雪かきをしてくれた練習グラウンドのスタッフにも感謝の意を伝えた。これもソリさんらしい一面だったように思う。

▼真摯な姿勢が心をつかむ
 そしてチームと選手へのアプローチだ。

 就任直後に在籍選手の実力を把握し、「ヘタなんだから練習するしかない」として徹底的に鍛え上げた。まず取り組んだのはスタミナアップ。連戦が続く中でもフィジカルトレーニングを怠らず、90分間走り切れる体力をつけ、がむしゃらにボールを追い回し、素早く攻守を切り替えてゴールを狙う”山雅スタイル”を確立。頑張り続けるプレーが、多くのサポーターから共感を得るという副次的な効果もあった。また、昇格後の会見で「選手たちは日本で一番苦しい練習をしてきている。今日も最後までアゴが上がることはなかった」と選手たちの努力を称えることを忘れなかったのも、”らしい”振る舞いだったように思う。

 では、なぜ選手たちはそれだけの厳しい練習についてこられたのか。就任のニュースを聞いた当初はJFLから昇格したばかりの雑草軍団に、北京五輪代表を率いた指揮官という、一見するとある種のミスマッチがあったように思う。だが、ソリさんのピッチ内外でのサッカーに対する真摯な姿勢が選手たちの心をつかみ、それが確固たる求心力となっていった。

 就任1年目、練習道具の片付けを率先して行っただけでなく、練習後にボールがなくなってしまったときでも「選手たちは早く上がれ。俺たちで探すから」と自ら歩き回った。そういった行動に喜山康平や鐡戸裕史も「五輪代表監督までやった人なのにスゴイな」と心を惹かれていく。

 選手たちの練習は、ほぼすべてと言っていいほど直接見守った。試合に出場したトップチームがリカバー、それ以外のメンバーがトレーニングを行う際にも、「すべて見たいから」と練習時間をずらし、選手たちの一挙手一投足、そしてサッカーに取り組む姿勢を見続けた。実際、早朝から居残り練習が終わるまで約6時間も練習場に立っていることも珍しくはない。「見られている」と感じる選手たちの意識が自然と高まったのは言うまでもないだろう。

 無類のサッカー好きで分析派としても有名なだけに、練習後はクラブ事務所に戻ってスタッフミーティングを行い、さらに夜遅くまで対戦相手の映像を見続けた。相手チームの得点パターンや守備の穴を発見する目は確かで、中でもセットプレーのスカウティングはピカイチ。実際にプレーする選手たちも「失点シーンは、監督に『やられるとしたらこういうパターンだ』と聞いていた形でやられることが多い」と実感する。こうして四六時中サッカーに触れ続け、夕食を終えた選手が事務所付近を22時頃に車で通る際にも、必ずと言っていいほど部屋の電気が点いているという。ヨーロッパのサッカーだけでなく、ブラジルリーグまでチェックしているという話も聞く。そして翌日は朝早くからグラウンドに立つ。喜山康平が「いつ寝ているのか分からない」と話すほどサッカーに正面から向き合い、松本山雅のJ1昇格のために没頭した。

 こういった日々の行動と姿勢が選手に伝わり、「俺たちも結果で応えなければ」とチームが一丸になっていった。

 ビッグクラブで数々のタイトルを獲得してきた田中も「練習に対する態度を含め、監督を信じてここまで来ることができた」と信頼感を口にする。積み重ねたものを発揮できれば、必ず結果がついてくる――選手たちはそう信じて日々の練習に全力で取り組み、地道にレベルアップし、一つずつ結果を出し続けた。大一番でも浮き足立つことなく自分たちのスタイルを貫き通せたのは、指揮官と選手たちが毎日のトレーニングを信じることができたからに他ならない。

「生かすも殺すも指導者次第。選手たちの良さを見て、できることを伸ばす。できないことは考えさせる。そうやって少しずつ良くなってきた」

 反町監督は、3年間の取り組みをそんな言葉で表現している。

▼名門のオファーを拒否し、いざ”4年目”へ
 そんな熱いソリさんだが、チクリと釘を刺すことも忘れない。試合後の囲み取材では、顔馴染みの記者しかいないことをチェックした上で、「ウチはJ2でも6番目くらいのレベルでしかないからな。予算規模ではもっと下だぞ。だからやり続けるしかない。ここにいるヤツはそんなことは言わなくても分かっているはずだ」と何度も毒づいた。その一方でJ1での戦いも視野に入れ、選手たちの良いプレーを称賛しながらも、冷静に分析してダメな部分はダメと言い続けた。練習場や練習環境の整備など、クラブとして成長しなければならない部分にも折を見て言及してきたのも印象的だ。

 今シーズンを通じて印象的だったのは、ベガルタ仙台より6月に期限付き移籍で加入した大卒ルーキーのFW山本大貴に厳しいコメントを言い続けていたことだ。たとえば昇格を決めた福岡戦後にはこうだ。

「選手たちはみんな、ゲームの最初から大きなエネルギーを出してくれたと思います。山本以外は(笑)」

 加入当初の山本は前線でボールを収めることができず、無理にドリブルを仕掛けてはカウンターを食らい、ファーストディフェンスも機能せず、スペースへ飛び出すタイミングも合わなかった。だが反町監督はFW陣に負傷者が続出したこともあって我慢の起用を続け、トレーニングを重ね、まずは守備面で機能するように変貌させた。

 確かにまだまだ足りない部分は多い。だが、光るものに着眼して、伸ばそうとするのもまた反町スタイル。センターバックの犬飼智也も同じように厳しく言われ続けてチームに不可欠な存在へと成長した(まだまだシニカルなコメントをされることは多いが)。我慢して使い続けた山本が、福岡戦で先制点につながるヘディングを見せ、結果的に昇格を決める豪快な決勝ゴールを叩き込んだことは、何か象徴的なシーンだったようにも思う。

「俺はあまのじゃくだからな」

 ニヤリと笑うソリさんは3年前、監督就任に際して「いろいろな人に相談したけど、みんなに『やめろ』と言われた。だから引き受けた」と語っていた。そして「3年間のプロジェクトだった」という勝負に勝ち、昇格を決めた翌日に来シーズンの契約延長を明言した。J1のある名門クラブからもオファーがあったと伝え聞くが、真摯についてきてくれた選手たち、そしてクラブを支えてくれる熱いサポーターとともにJ1の舞台で戦いたいという気持ちが勝ったのだろう。

 果たして足りない戦力をどう補うのか、そしてJ1に”山雅旋風”は起こるのか。「目標と夢。言葉にしたことを叶えるのが使命だと思ってやってきた」という”男前”がJ1で迎える就任4年目のシーズン。そのサッカーとシニカルなコメントが今から楽しみでならない。

青山知雄

1977年6月27日生まれ。愛知県名古屋市出身。『Jリーグサッカーキング』&『totoONE』編集長。学生時代から国内外のスタジアムへ足繁く通って多くの試合を観戦。その縁から幅広い人脈を持ち、関係者や各クラブの番記者とも太いパイプを構築している。時間があればマストアイテムの携帯電話(得意のガラケー)で情報を収集。川端編集長、元サッカーマガジン編集長北條聡氏と謎のユニット「スリーメガネーズ(仮)」を結成している。