九州サッカー紀行。情熱を煮詰めた先にある純粋さと、それぞれのサッカーとの関わり方
2017 02/03 08:24
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今回は川崎フロンターレを中心としたWEBマガジン「川崎フットボールアディクト」から九州リーグに関する記事になります。
【#オフログ】九州サッカー紀行。情熱を煮詰めた先にある純粋さと、それぞれのサッカーとの関わり方(川崎フットボールアディクト)
2017年01月31日更新
テゲバジャーロ宮崎が、山形を率いていた石崎信弘氏の監督就任を発表した後、急に九州リーグ(実質的に5部リーグ)のことが気になり始めた。うっすらと生まれ故郷の大分県中津市を拠点にするFC中津が九州リーグを戦っていることは知っていたが、どんな組織運営なのだろうかと興味がわきFC中津に関わっていた知人を介して監督の梶原一男さんにアポイントを取ることができた。
大分県中津市の小祝という漁港に隣接する土のグラウンドで、FC中津は練習していた。トップチームが練習を始めたばかりのグラウンド脇で、ジュニアチームの指導を終えた梶原一男さんに取材を始めた。
1969年創立のクラブは2012年に九州リーグに14年ぶりに再昇格。その後、名称をFC中津に変更し今に至るという。「中津はサッカー大国だとは言われていますが、なかなか育成のところにメスが入ってない」という現状を憂い「育成からJリーガーを輩出することを目標に。そしてJの経験を持つ選手がキャリアを終えて帰ってくる場所として、組織を作ってきました」と梶原さん。チームとしてのJリーグ入りは考えていないという。
そんなFC中津の選手たちは日中は仕事をしているとのこと。
「大体公務員が多いですね。鹿屋体育大、福大。その辺を出て消防士になってうちに入ってる選手は多いです」
練習は勤務を終えた夜20時からの2時間で、基本的に自由参加。「練習に来ようが休もうが自分たち次第」という形式を取るという。そのため練習場に集まれるのは20名程度。そして何よりも驚いたのが、彼らは月謝として4000円をチームに収め、プレーしているという。そんな環境の中九州リーグを戦っているのだからサッカーにかける情熱は並大抵のものではない。
2月から3月にかけて行われる天皇杯大分県予選を目指し、2016年12月にチームは始動。着々と準備を進めているという。2012年の平均観客動員数は150人。それを今年は1試合平均500?600人に増やしたいと意気込んでいた。
九州リーグでも底辺に位置するであろうFC中津の取材を終えた翌日に、大分市にある大分トリニータの練習場を訪れた。こちらはナビスコカップ優勝歴を持つクラブだが、入れ替え戦の舞台で町田に敗れJ3に降格した2016年にJ3優勝。1年でJ2に返り咲いたシーズンの練習初日だった。
旧知のライター仲間に「何故ここに居るのだ?」と驚かれながら練習開始を待っていると、出てきた選手たちが組む円陣に向かい報道陣が近づいていく。聞けばチームは円陣の取材を許可しているのだという。報道陣が近接して取材するその様子を、少し離れたところから撮影させてもらった。
続いて片野坂知宏監督と選手たちは練習見学に訪れた熱心なサポーターを前に一列に整列し、監督の挨拶で一礼し、練習開始となった。
ぼくが知るトリニータはここまで報道陣ともサポーターとも距離は近くなかった。ただ、一度財政的に破綻したトリニータは、県民に愛されなければ生きていけないことを自覚したのだろう。だから県民との距離感を図りながら独自の生き方を模索しきたのだろう。その結果として目の前で見せてもらったのは、地域に根ざすサッカークラブのあるべき姿に思えた。
その翌日。早朝に大分を出発し一路宮崎県の高鍋町へ。テゲバジャーロの練習初日を取材させてもらいに南九州大学という学校を訪れた。テゲバジャーロは、廃校になったこの大学の校内にある芝のグラウンドを練習場として使っていた。芝といってもそこにあるのは見渡す限りの枯れた芝生。ただそれにしても、人工芝のグラウンドよりはいいだろう、という判断の元、石崎監督が選んだ練習場だった。
選手たちは午前中に練習を入れ、夕方から夜にかけてアルバイトなどで生活費を稼いでいるのだという。スポナビにて掲載させてもらった石崎監督のインタビュー中、レノファ山口に言及する下りがある。山口の戦いぶりに心を揺さぶられ、無名の山口の選手たちの活躍する姿を見て、地域リーグからでもJで活躍できる選手を育成することができるのだと石崎監督は話していた。お金がないなら無いなりに育成すればいい。テゲバジャーロでの挑戦は、そんな石崎監督の指導哲学が強く滲むものだった。
石崎監督のテゲバジャーロ宮崎での2日目の練習は綾町にある人工芝のグラウンドで行われた。見た目は前日の枯れた芝のグラウンドよりもいいのだが、石崎監督はできれば人工芝のグラウンドでは練習させたくないと話していた。足腰への負担が違うのだという。ただ、綾町のグラウンドは予約をキャンセルすると二度と貸してもらえないらしく、当初の予定通りの練習となっていた。フィジカルコーチによる練習に続き、ボールとフィジカルトレーニングを組み合わせた独自の練習で選手を追い込むのだが、その中に笑いを織り交ぜて場を和ませる。そんな練習で選手たちを鍛えていた。数日後、綾町のフロンターレの合宿地を訪れた石崎監督に話を聞く中で、アルバイトや仕事がなく時間の都合がつく選手たちだけを集め午後も練習をしているのだと話していた。頑張る選手にはとことん手を差し伸べる。ぼくもそうやって石崎監督に助けてもらった一人だ。
1965年にできた門川クラブというチームを母体とするテゲバジャーロについて、柳田和洋社長は時に熱を持って説明してくれた。過去、宮崎に存在していたプロフェソール宮崎というチームで1998年から99年途中までプレー歴を持つという柳田社長は30歳になった2000年にチームの立て直しを依頼され、現在に至るという。今季の目標としてJFL昇格を口にする柳田社長は門番を倒すのが大変だと苦笑いする。
「九州リーグには、上を目指さない企業チームがあります。九州三菱自動車、海邦銀行、新日鐵住金大分。彼らは門番と言われて恐れられてます。彼らからは『とっとと上に行け(笑)』と言われますが、彼らとの対戦は簡単ではないので大変ですね」
その柳田社長は、石崎監督との会話の中で「わしは選手を畳一畳で殺せる」という言葉に度肝を抜かれたという。それはこの言葉のどぎつさではなく「雪の山形の練習場が使えず、体育館の中のバスケットコート1面分のスペースで25?6人ほどの選手を鍛えた時に、一人あたりの面積が畳一畳になる」と根拠を示す話法だったという。そんな石崎氏の監督就任について「夢物語のようです。来てくれるとわかったときは涙が出そうになりました。こんなタイミングはなかなかないですし、めぐり合わせに感謝しています」としみじみと話してくれた。
テゲバジャーロは2026年の宮崎国体開催に合わせ、新たに整備される3万人規模の陸上競技場をホームスタジアムさせてもらえないかと模索しているという。「本当はサッカースタジアムが一番なんですけどね」と柳田社長は話していたが、現状そう簡単な話ではない。そんな宮崎県内の空気を変えその必要性を認めてもらえるのかどうかは彼らのこれからの活動にかかっている。
テゲバジャーロの綾町の人工芝での練習を取材したその日の午後が、フロンターレの綾町合宿の初日練習だった。先日紹介した綾町教育委員会の松原航生さんたちが丹精込めて育てた天然芝はJクラブも満足するレベルに整備されており、素晴らしく美しかった。九州リーグを戦う2チームの練習環境を見せてもらったあとだっただけに、綾町の芝生は芸術品のレベルに思えた。
いつもは練習場に到着する選手バスを笑顔で出迎える松原さんが練習時間に姿を表さなかったことがあった。聞けば芝を管理する機械の納入に立ち会っていたという。「自治体レベルでこれを導入するのは初めてじゃないですかね」と話す笑顔には少しだけ誇りのようなものが見て取れた。Jクラブを迎え入れることができる芝生を育ててきた矜持のようなものが綾の人たちにはあるのかもしれない。
九州を拠点にする3クラブを取材したことで、改めてフロンターレの立ち位置がわかる気がした。フロンターレの選手の週給が、年収に匹敵する選手も居たはず。そんなとてつもない格差を想像しつつ、それがサッカーでメシを食うということなのだろうとも思う。覚悟を持ったサッカー選手の生き方がそこにあり、サッカーに対する情熱を煮詰めた先にある純粋さの一つの形なのだろうとも思う。
天皇杯は彼らが同じ土俵で戦う機会を提供している。それが開かれたサッカーというスポーツの醍醐味だ。そうやって格差が交わる時に、まれにとんでもないサクセスストーリーが生まれることがある。そんな可能性の存在にサッカーのおもしろさが、ある。
(取材・文・写真/江藤高志)
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