取材は「大原サッカー場」より【川本梅花 フットボールタクティクス】
2016 12/29 07:23
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今回はWEBマガジン「川本梅花 フットボールタクティクス」から大原サッカー場に関する記事になります。
【黄色の瞳】Note.8:取材は「大原サッカー場」より(川本梅花 フットボールタクティクス)
2016年12月27日更新
さいたま市大原サッカー場を訪れたのは3年ぶりだった。その時は、おそらく浦和レッズの練習を見に行ったのだろう。「おそらく」と断りを入れなければならないほど、3年という時間は人の記憶を忘却させるのに十分なものだ。
僕は過去に1年間を通して何度か大原サッカー場に足を伸ばしたことがあった。それは2011年のシーズンである。浦和レッズでプレーしたことのあるゼリコ ペトロビッチが監督に就任した年であった。なぜ僕が大原サッカー場に通ったのかと言えば、ゼリコの通訳をしていたのが、友人の林雅人だったからである。ゼリコがシーズン途中で辞任したことから、林も通訳の役目を終えた。林は現在、中国2部浙江省杭州女子足球倶楽部のヘッドコーチをしている。
2016年の12月に、久しぶりに大原サッカー場に足を踏み入れた時、隣接する浦和レッズのクラブハウス前にある、選手や関係者専用の駐車場が目に入ってきた。僕は2011年当時の記憶を呼び起こした。
あのシーズンのGMはギラヴァンツ北九州の前監督である柱谷幸一だった。林がバックから車を空いている駐車スペースに入れようとしていた。しばらくしてドンという大きな音がして、林は慌てて車を降りる。「あっ」と声を発して車と車の接触場所を確かめる。再び「あっ」という声を林は上げた。バックする際に、隣に駐車してあった車にぶつけてしまったのだ。しかも、ぶつけた車の持ち主が、GMだった柱谷の愛車だったのである。林が柱谷に謝ると、「お前わざとぶつけただろう」と冗談交じりに言われた。その出来事の後、しばらくして柱谷は解任される。乗っていた愛車も、荷物もすぐになくなり、柱谷がGMだったという痕跡さえなかったような風景が大原サッカー場にはあった。
今回、この場所を訪れたのは、浦和レッズ強化部育成ダイレクター兼レッズユース監督である大槻毅を取材するためである。11月末に筑波大学蹴球部の小井土正亮監督にインタビューした。その際に、「選手を育てるという観点から、大槻さんに話を聞かれるのがいいと思います」と教えてもらったので、早速、浦和レッズ広報部アポイントを取って、大槻監督に話を聞くことになったのである。
なお、この模様は12月28日(水)発売の『サッカー批評』(双葉社)に掲載されることになっている。詳しいことは、雑誌発売後にお伝えしたい。
取材日はFIFAクラブW杯開幕戦の前日。久しぶりの大原サッカー場は、誰もいない静かな場所だった。
「川本梅花 フットボールタクティクス」ではこのほかにも下記の記事などを掲載中です。
【警告の代弁】第6回:それでも機能していた日本の守備
http://www.targma.jp/baika/2016/12/25/post293/
【警告の代弁】第5回:「ゾーンを守る守備=ゾーンディフェンス」という誤解
http://www.targma.jp/baika/2016/12/22/post281/