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ストイックな職人気質。風間監督も認める大島僚太の成長力とその秘密

主将にも指名されたシャイなプレーメーカー、大島僚太を川崎Fの番記者・江藤高志が詳密に語る。

9月14日から手倉森誠監督率いるU-21日本代表がアジア競技大会へと臨む。U-23+オーバーエイジという大会レギュレーションの中であえて年下のチームで臨む理由は2年後の五輪に向けてチームを作り、そして個人を鍛えるためだ。今回、『J論』ではそんなU-21代表から注目の個性をピックアップ。順番に紹介していきたい。第2回は主将にも指名されたシャイなプレーメーカー、大島僚太を川崎Fの番記者・江藤高志が詳密に語る。

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<写真>キャプテンとしてチームを引っ張る大島僚太 (C)川端暁彦

▼非凡な才能が凝縮されたゴール
 0-0で迎えた前半43分のこと。韓国・仁川で行われているアジア大会の大会初戦。U-21日本代表が手にした先制点は、大島僚太によってもたらされた。

 柔らかなトラップで、勝負は決まった。ただ、もっと言うとクウェートの最終ラインと駆け引きし、裏に抜け出すそのタイミングでパスが出た瞬間に、ゴールは約束されていたと見るべきだろう。後ろから出てきた浮き球を、動きながらコントロール。そのボールを、迫り来る相手ディフェンダーからのプレッシャーを感じさせない落ち着きぶりでゴールに流し込む。大島僚太の非凡な才能が凝縮されたようなゴールだった。

▼しゃべれない男が、あの川崎Fへ
 そんな大島は名門静岡学園で鍛えられ、川崎Fに加入する。当時から3年次の高校選手権静岡県大会でMVPを獲得するだけの技量を誇っていたが、その大島を獲得した向島建スカウトは基礎技術の高さに加え、日常生活をサッカーの上達に費やせる大島のストイックさを高く評価していた。ある意味で職人気質を持つ選手だとも言える。

 その一方で、しゃべることは苦手だった。

 近年、高校生でも試合を巧みに振り返ることのできる選手が増えつつあると感じるが、大島は逆に、特別と言えるほど話すことが苦手だった。大島を初めて取材したのは、彼が3年次に出場した高校選手権2回戦・宇和島東戦後。自身のアシストもあり、2-0で快勝した試合後であったにもかかわらず、質問で問われたこと以上の言葉は出てこず、淡々と必要最低限の言葉を口にするタイプの選手だったと記憶している。

 しかし、そんな選手が選んだ川崎Fは、言葉少なで良しとするチームではなかった。

 広報からの指導はもちろん、中村憲剛などからも「しゃべることの大事さ」を説かれ続け、そして順応していく。元来、控えめで人見知りするタイプだということもあるのだろうが、いまではメディア対応もそつなくこなすようになり、ミックスゾーンでもしっかりと自分の言葉を使って対応ができるようになってきた。自らの言葉で試合を説明することは、自らのプレーを振り返る非常に良い機会であり、自分やチームのプレーを分析できていない選手は上手くしゃべれないものだ。それをやれるようになったということに、大島の成長の秘密の一端がある。

▼風間監督との出会い
 もちろんサッカーは、しゃべれればそれで上手くなるような競技でないのは言うまでもない。大島のサッカー人生を変えたのは、プロ2年目となる2012年のシーズン中に起きた風間八宏監督との出会いにあるのは間違いない。ピッチ上のすべての選手にボールを受けることを要求し、どれだけ相手に囲まれていてもボールを失わないことを徹底して教え込まれた大島は、徐々に頭角を現す。また、フィジカル勝負になる前にパスをつなぐ風間監督のスタイルは、大島の体格をハンディとせず、また彼の特長とも合致していた。

 当初、風間監督は主に大島を攻撃的なサイドのプレーヤーとして起用する。中学校時代から6年間を過ごした静岡学園で叩き込まれたドリブルという武器を活かし、サイドから攻撃を仕掛ける切り札として機能していた。しかし、大島自身はボランチでのプレーを希望。川崎Fのボランチは中村憲剛を筆頭に稲本潤一、山本真希といった経験豊富な実力者がひしめく激戦区であり、今季はパウリーニョを獲得してまさに狭き門となっていたにもかかわらず、だ。そして大島は、そんな競争の中で風間監督の要求水準をクリアしていくことになる。

 風間監督は大島のドリブルのセンスを高く評価する一方、パスセンスに物足りなさを感じていたという。中村という稀代の名プレーヤーがボランチとしての限界値を高め続け、それを自らのプレーで示したが、風間監督もその水準への進化をボランチ候補の選手たちに求めた。相手ボールを奪うことに強みを見せる選手がいれば、豊富な運動量でピッチを縦横無尽に走り回る選手もいる。そうした特長を持つボランチ候補の中にあって大島は、”マイボールを失わない”という大命題を実現可能な選手としてポジションを奪い取った。

 今季の開幕戦でボランチとして先発した大島は、新しい組み合わせを試すチームの中でサイドハーフやトップ下なども経験しつつ、4-0で快勝した第4節のFC東京戦で中村とともにボランチとして先発フル出場すると、そのままボランチとしてポジションを手にしたのだ。持ち前のドリブルセンスを活かし、どれだけ相手に囲まれても巧みに局面を打開してボールを持ち出す。決して焦らず、ボディーバランスだけで複数の相手選手からのプレスを無効化する巧みさは、クウェート戦でのゴールシーンで重なって見えた。

▼もっともっと上手くなれ
 一般的にプロサッカー選手は技術的に完成された存在だとみなされている。だからこそ、30歳を超えた選手には技術的な伸びしろがないと考えるのが普通である。ところが中村、大久保嘉人といった選手が30歳を超えてもサッカーが上手くなること自らのプレーで示し、また自らが成長したことを公言してきた。彼ら二人の成長が典型例だが、風間監督は選手たちに日々成長を求めており、高い水準の技術を求めている。そんな監督の要求に対し、大島は「もっと上手くなりたい」という意志の強さを、自身の成長という形で示してきた。

 川崎Fでの戦いの日々は確かに大島を成長させてきた。そしてキャプテンを任されたU-21日本代表での日々も、「もっと上手くなりたい」と思い続けている彼を一回り成長させるはず。このアジア大会を皮切りにリオ五輪代表の戦いは本格化していくが、そうした国際舞台で、彼がさらなる成長を遂げることを期待したいと思う。そして、「もっと上手くなった」大島を川崎Fで、そしてA代表で見せてほしい。


江藤高志(えとう・たかし)

1972年12月生まれ。大分県中津市出身。99年にコパ・アメリカ観戦を機にライター業に転身し、04年シーズンからJ’sGOAL川崎F担当として取材を開始する。プロサッカー選手について書く以上サッカーを知るべきだと考え2007年にはJFA公認C級ライセンスを取得する。また、川崎F U-12を率いダノンカップ4連覇などの成績を残した髙﨑康嗣元監督の「『自ら考える』子どもの育て方」(東邦出版)の構成を担当した。