金髪の「左」サイドバックとの出会い [短期集中連載:ドキュメント 小林祐三 vo.1]
2016 11/21 07:21
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今回は横浜F・マリノスを中心としたWEBマガジン「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」から小林祐三選手に関する記事になります。
金髪の「左」サイドバックとの出会い [短期集中連載:ドキュメント 小林祐三 vo.1] <無料>(ザ・ヨコハマ・エクスプレス)
2016年11月19日更新
小林祐三が柏レイソルから横浜F・マリノスに移籍してきたのは2011年だった。その直前に大量の主力選手が契約非更新となり、クラブは自らの判断で岐路に立とうとしている時期だった。
あれから6年の月日が流れた。その間にリーグ戦で積み上げてきた試合は、実に『187』。1年平均30試合以上コンスタントに戦い、それ以前に出場していたJ1試合数と合わせて、ちょうど300試合に到達した。
来季、右サイドに金髪がトレードマークの背番号13はいない。横浜F・マリノスと小林祐三は別々の道を歩み始める。だが、その前に記しておきたいことが山ほどある。
出会いと別れ。
そしてトリコロールでの再会。
小林祐三との出会いは2009年まで遡らなければならない。当時、筆者はサッカー専門新聞『EL GOLAZO』にて、横浜F・マリノスと掛け持ちで柏レイソルを担当していた。前年はマリノスを単独取材しており、09年からマリノスに加えて、新たにレイソルを受け持つこととなった。
右も左もわからない新たな取材場所で出会ったのが、当時23歳の小林である。当時から頭髪を金色に染め上げ、オリジナリティ溢れるファッションを貫いていた。
「ちょっと近寄りがたい雰囲気だな」
これがファーストコンタクト前の率直な印象だった。あの頃乗っていた車はチーム内で唯一のメーカーで、それが彼のこだわりであり、生き方でもあった。そのような理由から名刺を切る順番としては、所属選手の中でかなり遅かった記憶がある。
だが、いざ話してみると、サッカーIQの高さと独特な見解を持っていることに気付かされた。記者からすれば「面白いヤツを見つけた」で、まさしく記者冥利に尽きる出来事だ。すぐに小林の魅力に惹かれ、積極的な会話を試みた。午後練習でクラブハウスを出るのが遅くなった日は、練習グラウンド近くの定食屋で"延長戦"に突入することもしばしば。その時間帯には、サッカーだけでなくプライベートを含む互いの価値観についてもよく語り合った。
ピッチ内に目を移すと、マリノス時代しか知らないファンには想像しにくいだろうが、主に左SBを務めていた。オランダで開催された2005年のワールドユースに出場していた時の触れ込みは『守備のユーティリティプレーヤー』。自分がレイソル担当だった頃の小林は、まだ左SBを中心にさまざまポジションで起用されていた。
つづく
【小林祐三へのメッセージ】
GK 1 榎本 哲也
「パンゾーは人間的にすごくいいヤツで、自分のことも慕ってくれていたように思う。身体能力が高くて、最後のところで足が伸びて、無理が利く。個人的にそういったタイプの選手はすごく好きなので、一緒にプレーしていて心強かった。だから契約満了になったことはとても寂しい。最後にあいさつをしたときは涙を流していて、オレはそれを見ていられなかった。だから自分は下を向いて声だけを聞いていた。違うチームになっても、必ずどこかで対戦できると思う。絶対にトップレベルでプレーできる選手だから」
「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」ではこのほかにも下記の記事などを掲載中です。
「マリノスはすべてがレイソルの3倍なんだよね」 [短期集中連載:ドキュメント 小林祐三 vo.2]
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早ければ来週に何らかの動きや発表があるかもしれない
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