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【徹マガ】「清水で仕事をするのは相当な覚悟がいるんですよ」 清水エスパルス社長、左伴繁雄の視線の先にあるもの

2016 03/16  06:25

有料WEBマガジン『タグマ!』編集部の許可の元、タグマ!に掲載されているJリーグクラブ有料記事を全文掲載させていただいておりますこの企画。
今回は宇都宮徹壱公式メールマガジン「徹マガ」から左伴繁雄社長に関する記事になります。




【無料記事】「清水で仕事をするのは相当な覚悟がいるんですよ」 清水エスパルス社長、左伴繁雄の視線の先にあるもの徹マガ
2016年03月15日更新

いささか旧聞になるが、先月末の清水取材について書かせていただく。今回の取材で個人的に最も楽しみにしていたのが、株式会社エスパルスの社長、左伴繁雄さんへのインタビューであった。左伴さんには2009年、湘南ベルマーレの執行役員兼常務時代にお話を伺っており、実に7年ぶりの再会である。その間、いろんなメディアの取材を受けてきたはずだが、「やあ、久しぶり! お変わりありませんなあ」とにこやかに声をかけていただいたのは嬉しかった。

左伴さんといえば、横浜F・マリノスの黄金時代を築き上げた名物社長のイメージが強い。01年に45歳の若さで就任した時は「(日産自動車では)生産畑にいて、サッカーのことはほとんど知らなかった」。しかも01年のF・マリノスは、降格の危機に瀕していたため、J1残留とチームの立て直しという難しいミッションを、新任クラブ社長はいきなり担うことになった。01年に残留を果たすと、02年には中澤佑二や奥大介らを獲得して年間順位2位となり、03年には元日本代表監督の岡田武史氏を指揮官に招へい。03年と04年に2連覇を達成している。

その後、07年に社長を退いて日産本社に戻るも、翌08年に日産の執行役員の地位を投げ打って、湘南の常務取締役に就任する。当時の湘南はJ2所属の純然たる市民クラブであり、まさに「地べたを這いまわるような営業」(当人談)が求められるような状況だった。

それにしても安定した大企業の職を辞して、なぜ左伴さんは過酷なサッカーの世界に舞い戻ってきたのか。7年前の取材で問うたとき、当人は「マリノスで果たせなかった夢を、ここで実現させたかった」と、その理由を語っていた。では、J1で2連覇しても、果たせなかった夢とは何か? それは「自立したクラブづくり」だという。就任直後のクラブカンファレンスで、左伴さんはサポーターにこう語っている。

「マリノス時代、日産からお金を出してもらってクラブ運営することに、経営者として後ろめたさを感じていた。ベルマーレは、自分たちの足で立って、歩いてきたクラブだけに(彼らを)直視できなかった」(『季刊サッカー批評 issue 43 10年後も残るクラブ、消えるクラブ』より)

親会社から出向してきたクラブ社長で、そこまでの問題意識を持ち、しかも安定したポストを捨ててまでサッカーの世界に身を投じた人は、そういないはずだ。湘南では、F・マリノスと同じく6年間を過ごし、「J1に昇格を果たし、しばらく定着するだろう」と確信した14年のオフにクラブに別れを告げている。ただし在任期間のうち4シーズンをJ2で過ごしたことは、結果として左伴さんに新たな問題意識を与えることとなった。

「J2では大きな会社の世話にならない、いろいろ苦労している事例をいっぱい見ちゃったわけですね。その上さらにJ3ができたけれど、たとえばお金の集め方とか地域の巻き込み方とか行政へのロビー活動とか、上手くやっているところはそんなに多くはない。僕はマリノスのような(親会社のある)クラブで6年、湘南のような市民型のクラブで6年、それぞれ仕事をしてきて見えてくるものがあった。そういったものを伝えていきたいという気持ちがあって、個人コンサルティングをやろうかなって漠然と考えていた」

ところが突然、清水から社長就任のオファーが舞い込む。決断まで1カ月ほど熟考したそうだ。理由は2つ。清水は日本で最も歴史ある「サッカーの街」であり、目の肥えたファンが多いこと。そしてサッカー経験のある地元経営者が多く、よそ者の自分を受け入れてくれるのに時間がかかると思われたこと。「清水で仕事をするのは相当な覚悟がいるんですよ」と左伴さん。それでもオファーを受けた一番の理由は、ホームタウン清水が持つポテンシャルにあった。

「このクラブは年商の半分くらいがスポンサー収入なんですよね。普通は3割いけばいいほう。営業に行っても、横浜や湘南だとゴルフやプロ野球の話をしてからサッカーだけど、こっちは『昨日の試合の、あのスローインは』という話から始まる(笑)。試合の日でなくても、オレンジ色のフラッグが立っているし、おばあちゃんが昔のタオルマフラーを首に巻いて洗濯している。こんな街、他にありますか?」

左伴さんは清水で、日産時代に訪れたサンダーランドでの経験を思い出したという。ビジネスの場では必ず地元クラブの話題が出てくるし、試合がない日でもフットボールの息吹が感じられる。そこに、自分が目指すべきものを感じた。単に「赤字だ、黒字だ」のクラブ経営ではない、「地域と共生しながら発展するビジネスモデル」というものを究極の目標と捉えたとき、清水でなら実現可能なのではないか──そこに、左伴さんが覚悟を決めた理由があった。

今回の清水取材では、左伴社長以外にも、小林伸二監督、そして清水の三羽烏の恩師である綾部美知枝さんにもお話を伺うことができた。個人的にも清水を訪れるのは久々であったが、これまで抱いていた「サッカーの街・清水」のイメージをいい意味で裏切る、さまざまな発見や気付きがあった。取材の成果はスポーツナビで連載中の『J2・J3漫遊記』で掲載予定なので、ぜひともご覧いただきたい。

<この稿、了>

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