J論 by タグマ!

“点取り屋の卵”浅野拓磨が見せる孵化の兆し。待望久しいストライカーは広島から現れるのか

広島でブレイクを待つ20歳のストライカー、浅野拓磨に注目する。四日市中央工業高校から加入して3年目。広島の情熱記者・中野和也が、エースの卵がのぞかせた"孵化の兆し"に迫る。

3月の開幕に向けてJリーグ各クラブのキャンプは最終段階、あるいは打ち上げて次の段階へと入っている。今週の『J論』では、このキャンプへ実際に足を運んだ取材記者に”今季のイチ押し選手”を挙げてもらった。第4回目は広島でブレイクを待つ20歳のストライカー、浅野拓磨に注目する。四日市中央工業高校から加入して3年目。広島の情熱記者・中野和也が、エースの卵がのぞかせた”孵化の兆し”に迫る。

▼リオ世代にストライカーはいるのか?
 誰が点を取るのか。

 誰でもいい。GKが点を取ってもかまわない。

 理屈では、確かにそのとおりだ。

 しかし、現実はそうではない。点を取れる選手とは、なぜか決まっている。ゴールの中にボールを収めるという感覚は、誰もが持っているわけではないのだ。

 ゴールとはチームプレーの結晶である。パスを出す。スペースをつくる。DFやGKを惑わす動きを見せつける。複数の選手の動きが絡みあうことで「ゴール」という奇跡は生まれる。だが、最後の最後、ゴールにボールを納める場所にいることは、ストライカーの才能と技能を授けられたものにしか許されない。それは例えば佐藤寿人(広島)であり、大黒将志(京都)であり、そして岡崎慎司(マインツ)だろう。

 今の日本サッカー界で将来を夢見る若い世代に足りないのは、どう考えてもストライカーである。多くの年代での日本の戦いを見てみるがいい。チャンスはつくっている。だがそのチャンスを決め切れていないからこそ、アジアを突破できていない。

 若い世代にストライカーはいるだろうか。リオ五輪世代でいえば、久保裕也(ヤングボーイズ)や南野拓実(ザルツブルグ)、野津田岳人(広島)らはストライカーというよりもアタッカーの色彩が濃い。鈴木武蔵(新潟)が今はエースだが、彼の他にストライカーは?

 いる。浅野拓磨である。

▼仙台戦で見せた片鱗
 彼の資質はこれまでスピードやドリブルばかりが目立ち、「点を取る」という能力がクローズアップされたことはなかった。自身のドリブルやスピードでDFを引き裂き、ビッグチャンスを作っていながら、最後の最後、ゴールを揺らすことができない。そういう逸機のシーンばかりが目に付いた。

 ドリブルも突破も通用する。だが、点が取れない。決定的なシュートを打ちながらGKに弾かれ、セーブされ、枠を外す。その度に天を仰ぎ、首を振る。

 もしかしたら、彼の本質はチャンスメイカーではないのか。

 そんなことを考えたこともあった。だが、広島・宮崎キャンプの仙台戦で見せた彼の一撃は、その認識を改めさせるに十分なインパクトが存在したのである。

 クイックリスタートに反応してボールを受ける。ベテラン・上本大海とのバトルで失いかけてもあきらめず、川辺駿がボールを拾ったその瞬間、一気にスパートを仕掛けた。ニアポスト。仙台のタイトな守備にわずかな穴があいた場所を素早く見つけ、そこに飛び込んで川辺のパスを呼び込んだ。後はシュートである。

「直近の徳島戦では同じようなシチュエーションで(シュートを)躊躇してしまい、弾かれてしまった。なので」

 思いっきり右足を振り抜く。

 バシッ。

 グラウンド中に響くような豪快なインパクト音を残して、ボールはネットを揺さぶったのだ。
 さらにその15分後、佐々木翔から一発のロングボールを引き出し、GKと1対1。そこでも彼は、小細工なし。自分がもっとも自信を持つ右足を思い切り振って、ゴールを決めたのだ。

 シュートはゴールネットの中にパスをする感覚が基本だと、小学校の時に先生から教えられたことがある。きっと本質はそこにあるのだろう。例えば佐藤寿人のゴールシーンを見ていると、実に力が抜けている。宮崎キャンプ徳島戦での彼の得点は、佐々木の縦パスに飛び込み、左足をスッと合わせただけ。もちろんハイレベルな技巧なのだが、力はほとんど入っていない。インパクトの瞬間、ボールの勢いを殺してネットの方向にパスをするための技術を駆使してはいるが、身体に余分な力はほとんど入っていなかった。

 だが、そういうゴールを生み出すには、経験の蓄積がモノを言う。数多くの失敗と成功の連続によって「得点を生み出すための方程式」がいくつも確立され、引き出しが生まれていく。シュートの瞬間の微妙な感性も経験の積み重ねによって瞬時に調整できるようになる。もちろん天性のものもあるが、佐藤寿人の11年連続二桁得点の軌跡を見るにつけ、重要なのは「どうやって点をとるか」という思考の蓄積だと確信させられた。年齢と共にスピードやパワーは落ちていくものだが、ゴールに向かうための技巧と選択肢は格段に増えてくる。攻撃的なサッカーでチャンスを作ってくれるチームであれば、フィニッシャーとして積み重ねた経験と能力は大いに生きてくるものだ。佐藤寿人や大久保嘉人の活躍がその現実を証明してくれる。

 残念ながら若き浅野拓磨には、その経験の蓄積はない。ゴールにパスをする感覚は当然持ってはいるが、それをJ1のDFやGK相手に発揮できるかどうかは、また別の話だ。経験のない選手がすぐにゴールを量産できるようになるほど、Jのレベルは低くない。寿人のようなゴールを積み重ねるためには、相応の時間がかかるというものだ。ならば、できることに対して全力をぶつける方がいい。うまくやろうとして失敗するより、「これだ」と決断して自分の得意な形に全力を尽くした方がいい。

 その本能を爆発させたのが、対仙台戦での2得点だった。自分が信じるがままに身体を動かし、自分の脳が命じるままに右足を振り抜く。おそらく、「こうしよう」などと彼が考えたわけではないだろう。もしかしたら、脳の命令すら待っていなかったのかもしれない。彼の身体を構成する細胞が自らアクションを起こし、爆発的な力が肉体に伝わって全身を動かし、無意識の意識のままに右足を振る。それがゴールにつながるのだから、やはり彼はストライカーなのである。ゴールを生み出すための天性を持っているのである。

▼天性と、継続と
 繰り返すが、ストライカーには天性に加えて経験が必要だ。例えば数学の世界で名を成す者は、才能以外の何ものでもない。だが、その才能に「努力」というワックスをかけて磨くことを怠れば、花を咲かせることはできないのである。

「天才とは、努力の継続ができる人のことを言う」

 エルバート・ハバートというアメリカの教育家の言葉は、真実の表現だ。また、万有引力を発見したアイザック・ニュートンは自分の発見の要因について「常に課題について考えていたからです」と語っている。それもまた、継続性の重要さを証明しているだろう。

 浅野拓磨はまだ、Jでは1点もとっていない選手である。彼が「本物」かどうか、実績から推し量ることはできない。もちろん、可能性は持っているが、それはプロでプレーしている全員の選手に言えること。瞬間の輝きを見せてもそれを継続できずまま、この世界から消えていった才能の数々を見てきているだけに、簡単に未来を語ることなどできない。一方で佐藤寿人が仙台でレギュラーをとり、9得点を記録したのは高卒4年目のことだった。岡崎慎司が清水で2桁得点を取ったのも4年目だった。それ以前に、彼らの現在の姿を想像できた人は、ゼロとは言わないがそれに近い数字だろう。

 浅野がこれから爆発し、成長して広島だけでなく日本代表を救う点取り屋となるのか。それとも違う道を歩くことになるのか、それは誰にもわからない。大家族で育ち、たくさんの兄弟や苦労をかけた両親のためにも自分はこの世界で成功するんだという強い意志は持っているし、ハングリーなエネルギーは常に感じるが、それだけで栄光をつかめるほどの甘さはない。

 継続できる男なのか。経験を糧にできる男なのか。

 成功をつかんだストライカーは、佐藤寿人だけでなく、すべからく失敗経験を栄養につなげている。シュート決定率は、トップクラスのストライカーでも20%前後。つまりシュートの80%は失敗するものであり、成功よりも遙かに多い失敗体験をストライカーは積んでいるもの。その体験に押しつぶされるのではなく、自分の力へと変換できた選手だけが、天性の才能に花を咲かせることができるのだ。

 浅野拓磨に可能性が見えるとすれば、彼が人よりも多くの失敗を積み重ね、その失敗を忘れるのではなく、思考していることだ。自分を見つめ、悩み、失敗に傷つきながらも考えに考えていることだ。「切り替え」というポジティブ思考はスポーツの世界で重要なことだが、それは「失敗を忘れていい」ということではない。自分を見つめ、深く突き詰めることで自分を追い込む「ネガティブな思考」も、成長のためには時に重要であり、浅野拓磨という天真爛漫に見える男は一方でそういう繊細さを持っている。それもまた、可能性の一つなのだ。

「2点を決めることはできたけれど、あと2点、合計4得点はできた。こういうところを決めていかないと、今後は厳しくなる」

 仙台戦後、浅野は苦笑いを浮かべながら、こう語った。1点決めたら2点目。2点を取ったら3点目。浅野拓磨は満足しない。それもまた、ストライカーにとって必要な資質。失敗から学び、引き出しを増やすための思考を繰り返し、イメージを現実化するトレーニングを継続していけば、広島の29番はいずれ、日本サッカー界の大きな力となるはずだ。

 日本に必要なのは、ストライカーである。

 それは、事実である。

 日本に必要なのは、浅野拓磨である。

 これは願望であるが、きっと現実化するとも信じている。

中野和也(なかの・かずや)

1962年3月9日生まれ。長崎県出身。居酒屋・リクルート勤務を経て、1994年からフリーライター。1995年から他の仕事の傍らで広島の取材を始め、1999年からは広島の取材に専念。翌年にはサンフレッチェ専門誌『紫熊倶楽部』を創刊。1999年以降、広島公式戦651試合連続帯同取材を続けており、昨年末には『サンフレッチェ情熱史』(ソルメディア)を上梓。今回の連戦もすべて帯同して心身共に疲れ果てたが、なぜか体重は増えていた。