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名岐ダービー・プレビューにかえて。”大木語録”の一端

ドレスを着てプレーする 作業着を着てプレーする

風間八宏監督と大木武監督による”同級生対決”として注目を集めている名古屋グランパスとFC岐阜の”名岐ダービー”が10月1日、第2ラウンドを迎える。1年でのJ1復帰を目指す名古屋を率いる風間監督と、残留争いの常連だった岐阜を中位に引き上げた大木監督。二人の独自の哲学を持つ指導者のバックグラウンドに迫ると、興味深い言葉と思考に行き着いた。”名岐ダービー”第2ラウンドを前に、ライターの後藤勝氏が”名岐ダービー”を言葉の視点でプレビューする。

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▼大木武と風間八宏、言葉と思考を戦わせる者同士の対決

 独自の哲学を有する二人の指揮官、大木武と風間八宏。彼らが相まみえる『名岐ダービー』を観られる者は幸せである。心豊かであろうから――。

 はるか以前、教則DVD発売を控えた解説者時代の風間監督にインタビューをしたことがある。DVDの内容に基づき語られるその言葉は、のちに川崎フロンターレの選手が聞くことになるサッカー観のエッセンスだった。

 例えば「プレッシャー」という言葉。サッカーに於いては、物理的には、ボール保持者に寄っていく守備側の動きを指すことがほとんどだが、風間監督の使い方は違った。ボールを持つことで守備側にプレッシャーをかける、そういう解釈だった。

 ボールを思うがままにコントロールできる状態に置くという意味での「止める」、それを実現するために選手個々が100回以上蹴り自分なりのスイートスポットを探すことが、風間監督の考える基本であり、教則DVDにもその様子が長尺で収録されていた。

 つまりボールプレーヤー的な個人の技術、戦術がベースになりコート全体に拡大されたものが風間サッカーだということになる。そしてその哲学は言葉の使い方に表れている。

 大木武監督はイビチャ・オシム氏と同時代に現役のJクラブ監督として活躍し、実際にヴァンフォーレ甲府を率いて”オシム千葉”と対決、接戦を演じたことがある。そしてピッチ内だけでなく、言語表現の力においても、大木監督はオシム氏に伍することのできる存在だった。

 旧ユーゴ圏の人々が持つ戦禍という重い過去、あるいは貧民窟出身のブラジル人選手が持つハングリー精神など、プレーの動機やプレーヤーの背景について、大木監督は深く考えていた。切迫した何かを経験したことがない日本人は、スタートの時点で前述の外国人とは異なっているために、代わりに指針となるものを持たなければならない。意図的に獲得できる精神の典型は、例えばプロ意識だが、大木監督のチームではそれに類する基本原則を叩き込まれることになる。

 いわく、プレーしろ。プレーとはボールやボールを巡る具体的な動きに関与すること。倒れ込む演技そのほかはプレーに該当しない。J2第34節・FC岐阜vsアビスパ福岡を前に、大木監督は「福岡はプレー以外のところで勝負してくる。そこに気をつけないといけない」と言っていた。そして対する自分たちは「そこで勝負しない。ウチはプレーで勝負する」という方針をあらためて掲げた。大木イズムもまた風間イズムと同様に、言葉の使い方に表れるのだ。

 岐阜の10番・庄司悦大は名岐ダービーを控えて「ウチのチームは監督に、常に”90分間プレーしろ”と言われている」と語った。大木イズムは着実に浸透している。

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▼ドレスを着てプレーする 作業着を着てプレーする

 大木監督の思想、そして”大木語録”がチームに根を張り、幹を伸ばし枝分かれしてクラブ全体に行き渡っていく。試合前の名物となっている煽りVの時点で、それはすでに明白だ。

「ドレスを着てプレーする 作業着を着てプレーする」

「魅せろ 大木スタイル」

「GIFU DOMINATION SOCCER」

 ドレスと作業着のくだりは、5月3日のJ2第11節・ザスパクサツ群馬戦を迎えるにあたり、大木監督が選手たちに「いつもチームには『ドレスを着て、舞踏会で踊るようにプレーしてくれ』と言っているけど、群馬戦は『油まみれの作業着に着替えてくれ』と言った」ことから来ている。

 いわんとしていることは明白だ。ハードワークの側面をも意識せよ。大木監督のサッカーには、華麗にボールを運び、仕掛け、仕留める攻撃と、激しい守備と球際の攻防、二つの顔がある。それらを端的に言い表している。第10節・ツエーゲン金沢戦では思うようなパスワークをさせてもらえない時間帯があった。ドレスを着たサッカーと作業着を着たサッカーの両面を実現させることができなければ強いチームにはなれないという意味だ。

 岐阜県岐阜市内の商業施設「マーサ21」に、名岐ダービー当日10月1日いっぱいまでFC岐阜関連のユニフォームや写真とともに、二つの大木語録が展示されている。

「戦術と技術のミスがなければ必ず攻撃が勝つ」

「型無しではなく型破りになってもらいたい」

 前者は解説不要だろう。失敗しなければシュートまでたどり着くということをあらためて念頭に起くことで、成功の確率を高める役に立つ言葉だと考えられる。

 後者はめちゃくちゃではいけないということ。いい型を完全に習得するからこそ、それを逸脱したり、アレンジして、即興演奏をすることができる。素人がノイズをかき鳴らすのと、フリージャズの猛者が変幻自在の轟音を出すのとでは、聴衆が受け取るインパクトは結果的に同じかもしれないが、プロセスが異なる。めちゃくちゃなノイズではランダムになり不発も多いだろう。型を壊しながらカタルシスの瞬間を探るほうがある程度計量化できる。

 サッカーに置き換えるなら、90分間という時間の制限がある中で、ある程度の自由を与えながらも進展に応じて戦術の変更や選手の交代を行わなくてはいけないベンチとしては、まったく計算できない素人ノイズよりも、数分間に一度結果を出す可能性が高い玄人のフリーインプロヴィゼーションのほうがありがたいに決まっている。

 そう、ただ無為にボールを蹴るのと、哲学に基づきサッカーそのものを追求していくのとでは、一定の時を経たあとの実力が著しく異なる。考え抜いたサッカーなるものを叩き込まれたFC岐阜と名古屋グランパスの選手たちが8カ月ぶんの取り組みを経て対峙するこの一戦は、内実の重要度において、まさに関ヶ原の戦いに比肩すると言っても過言ではない。

 開幕当初はゼロトップ的な3トップのセンター。「ウィズ・ボールは良い」と大木監督にセンスを讃えられながらも結果を残せず、「前に行く推進力とかゴール前に入っていく力はすごくある」と評価される難波宏明の後塵を拝していた風間宏矢は、配置転換された右ウイングでワイドから中に切れ込んで打つシュートに開眼して以降、一段と得点感覚を研ぎ澄ませ、センターに戻ってきた。

 岐阜はセンターFWとCBが弱点。この二つのポジションを中心にさまざまな組み合わせを試した上で、現在の岐阜は開幕当初のそれに近いメンバーに戻っている。補強をせずとも、J2の強度に耐えられるほどに戦えるチームになったのだろうか。

 大木監督の下でスタートした新しい岐阜が1シーズンでどれだけ強くなったのか。風間監督率いる名古屋が”試金石”として立ちはだかる。

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