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アニメとかに詳しいライター・後藤勝

2016 07/28  08:46

Jリーガーからプロフェッショナルレフェリーへ~元プロサッカー選手が働きながら審判をめざすようになるまで~


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この主審に見覚えはないだろうか? 彫りの深い顔立ちに"ぴん"と来た方も多いかもしれない。そう、ヴァンフォーレ甲府でプロデビューを果たし、ザスパ草津を経てカターレ富山で引退した、元Jリーガーの御厨貴文さんだ。御厨さんは2015年1月末に富山を退団、その後、現役続行も視野に入れながら同時にセカンドキャリアを模索。働きながら審判の路に進むことを選択し、現在にいたっている。冒頭に掲げた写真は、ことし3月7日に小平グランドで撮影したものだ。御厨さんは3級審判で、笛を吹ける試合は都道府県単位のものまで。練習試合でJリーガーを相手に試合をさばく姿が公式戦のピッチで再現される日は、そう遠くないのかもしれない。

御厨さんはいま、株式会社山愛キャリアサポート事業部に所属している。同社を訪れると、同僚の藤井頼子さんとともに、業務内容を説明してくれた。

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▼プロ入団時の目標が現実となる
山愛は創業60年の中小企業。従業員数は75名ほどだ。印刷を業としているが、三代目山下裕己社長が2014年、アスリートのキャリア支援事業「アスリートキャリアパートナー」を立ち上げ、現役選手向けの学習支援やセミナーの実施、引退選手のキャリアカウンセリングや就職サポートをおこなっている。2015年5月1日に入社した御厨さんは、現役時代の経験に基づき、選手の気持ちになってセミナーの内容を考案するなど、忙しない日々を送っている。
シーズン中にJ2、J3の各クラブをまわり、開催しているセミナーでは、引退してからあわてて第二の人生を考えるのではなく、現役中からキャリアに向き合う思考力を鍛えている。ほかのスタッフがセミナーの前半を担当、後半で御厨がOB講師として教鞭を執り、現役経験のうち、こういったところが社会に出たときに活きている――という話をするケースが多いようだ。単なる就職斡旋ではなく、自活能力を備えさせることが目標だという。

長崎の海星高校出身。高校選手権県予選決勝で国見高校に敗れ、国見出身の選手だけには負けないと大学に進んだときには、将来Jリーガーになるなどとは考えもしなかったという。しかしセレッソ大阪との練習試合で「プロでも通用する」との確信を得た御厨さんは大学四年間をかけて頭角をあらわし、卒業時には複数のJクラブから声がかかるまでになった。転機はヴァンフォーレ甲府との練習試合だった。当時甲府のコーチで、現在FC東京のコーチングスタッフである安間貴義は当時を振り返ってこう言う。
「大阪体育大学が練習試合に来たときがあるのですが、相手のディフェンダーが空中戦で須藤大輔よりも頭ひとつ高く飛び、競り勝っていたんです。なんだこいつは、すごいな、と」
大木武監督(当時)が「おまえ、やりたいか」と声をかけた。Jリーガーとしての人生が始まった瞬間だった。

御厨さんは目標を立てていた。
「まず、30歳までやろうと決めていました。そう決めていたからこそ、じっさいに30歳までプレーできたのかもしれません」
安間コーチと居残りで練習に励み、チャンスを待った。入団一年目の2007年かぎりで大木監督が去り、安間体制が終わる2009年まで、御厨さんは甲府に所属した。9時半から全体練習を2時間半、そこからが本番の「安間塾」で、午後3時まで延々と練習していた。初年度は天皇杯1試合に出場したのみだったが、2009年はリーグ戦13試合に出場。ここで地力をつけた御厨さんは、その後の草津と富山での五年間、コンスタントに先発するようになる。

「28歳くらいから何をやるのか、ちょっとずつ考えていました。31歳を富山で迎えて次の契約ももらっていましたが、一回、自分でリセットしようと思ったんです。そのとき相談した人々のひとりに、プロフェッショナルレフェリーの名木利幸さんがいました。そして審判の実際をいろいろと訊ねるうち、これはめざすだけの価値があると思い、レフェリーになろうと決めたんです。Jクラブからお話をもらったときには心が揺らぎそうになりました――それらのチームはセンターバックも不足しているようだったので――けれども、そのときはもう審判になると決めていました」

▼現役時代に身につけた思考力を武器に
現役時代に獲得した能力が、社会人として、あるいは審判として活きている。最たるものは考える力だ。
「キャプテンになったことは大きかった。仕事のひとつに、監督を怒らせないようにする、ということがあります。ぼくが先に怒れば監督は怒らなくていいので、監督がどうしたいかを理解し、ぼくがピッチのなかで伝える。伝えるためにはまず監督としっかりコミュニケーションをとることが必要ですから、話す、考える能力は自ずと鍛えられたと思います」

一年目の選手と十年目の選手では接し方を変えた。当然ながら年長者には敬う姿勢をとりながらも言うことを聞いてもらわねばならないし、若い選手には緊張をほぐしながらも、戒めることも忘れてはいけない。強圧的に迫ることもあれば、柔らかく提案することもある。大人数の食事会を取り仕切るのも仕事のうちだった。
藤井さんは御厨さんについて、こう話す。
「人前で話す経験を積んできたのだろうな、とは感じます。セミナーや新人研修で、数十人、100人単位の選手の前で話す、これはうまいです。社会人では得られない、選手時代に培った経験が活きていると思います」

思えば、プロ一年目から「伝え方」について考えることはあった。
「自分のポジションがセンターバックだから、前(中盤)にいる藤田健や林健太郎のような(格上の)選手に『右に行け』と指示しなくてはいけない。でも、ただ指示したところで絶対に聞いてくれないですから。『うるせぇ』で終わりです。認められていない。でもそこで右を抜かれたら自分の責任になりますし、仕事も増えるので、絶対に右へ行ってもらいたい。じゃあどうしたら行ってもらえるか、と考えるんです。
たとえば、ボールが欲しいとき。『相手のディフェンダーは脚が遅いから、ここに出してくれればおれのほうが相手より早く触れる』と言えば『OK』と言って出してくれる。当時は必要なプレーをするためにどう伝えるか、伝えたいと考えていましたけれども、いまになってみるとそうした積み重ねが活きている。声を出さなかったら出さなかったで『出せよ!』と罵られますから(笑)。思考力がある選手が活躍できるのだと思います」

現役引退後をどう生きるか、頭脳をフル回転させた。
「審判になりたいけれども、いきなりそれでメシを喰うというのは難しい。ではどうやって審判になるための環境を整えるかと考えて山愛に来ました。平日にトレーニング、週末にレフェリングをしたいので、平日は午前9時から午後5時までが定時で残業がなく、土日は休みということが条件でした。加えて、向こう五年でプロフェッショナルレフェリーになるという目標があるので、その期間だけ雇っていただきたい、と。ふつうは五年後に辞めるやつをなんで育てなきゃいけないんだ、となりますよね。でもぼくはそれがベストだと思ったので、条件に合う就職先を探すうちに、ここ(山愛)を受けてみたらどうですかというお話から、履歴書を受けて面接を受けて、入社が決まった、と」

現役を引退するはめに陥った選手たちは戸惑い、場合によっては怒りの感情を持っていることもある。その状態からサッカーを乗り越える「キャリアトランジション」を成し遂げられるかが、うまくレールを乗り換えられるか否かの分かれ目になる。
御厨さんは言う。
「(2015年の引退時点で)やりきった感はまったくなかったです。ただ、たまさか退団することになり、いい機会だとリセットしてすべてをフラットに置き、ここ(山愛)に来て、Jクラブからのオファーを断ったところでトランジションを乗り越えたんだと思います。ぼくの目的はサッカーの世界で活躍したいということ。サッカー選手の価値を高めたいという気持ちもあります。選手か審判かで手段が変わっただけ。そして自分が活躍できる場所に身を置きたい。いまは審判をめざそうとしています」

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▼元Jリーガーだからこその関係の力
審判の世界に、ひとりだけ"先輩"がいる。佐川急便大阪SC時代にJFL得点王となり、1シーズンJ2の愛媛FCでプレーした大坪博和さんだ。しかし大坪さん以外に同類は不在。「Jリーガー卒審判」というフィールドはほぼまっさらな状態なのである。

「やっぱり誰もいないというところに価値があるなと、魅力を感じました。自分が審判の世界で活躍してJリーガーの価値を高められればいいと思いますし、審判の路もあるんだとわかってもらえたら、こうして歩み出した甲斐もあります。ぼくの足跡がひとつの基準になっていくわけですから。そうすることでサッカーに貢献できたらと思っています」

たとえば御厨さんを選手としてよく知るサポーターは、最初は御厨さんの判定に文句を言いにくくなるかもしれない。慣れてくれば、ほかのレフェリーと同様にブーイングをされるのかもしれない。いずれにしろ、"異能"への社会的反応はサッカー界に新風を吹き込みそうに思える。
「選手も同じで、ぼくがジャッジをしていたら異議を唱えない選手がいるんです(笑)。それは選手とのあいだで関係を構築できているから。そこは強みなんです。ですけれども、でも型を身に着けていないので、それが活きてくるのは、審判としての技術を身に付けたあとの、先の話ですね。FC東京の練習試合で笛を吹いていたときも、おちょくってくる選手はいましたよ。『いまの、よく見えてたね』と言って(笑)。そのようなコミュニケーションはプロサッカー選手をやってきたからですね。でもほんとうはその関係を抜きにしても、審判として『よく見えていたね』と言われるようにならないといけない。いまはただ"関係の力"でしかないから、こっち側(レフェリーに必要なもの)を徹底的に身につける必要がある。中学生の試合でもJリーグでやるような気持ちで笛を吹かないといけない。そういう気持ちです」

2015年末にサッカー3級審判員の資格を取得。今年中に2級審判員になることが目標だ。3級の現在は活動範囲が東京都にかぎられているが、2級になれば関東地域で難しい試合、よりレベルの高い試合を経験できる。大会も大きくなり、試合のマネージメント、運営に責任が生じる。4審がつくような試合をやっていくと、その4人のチームで一試合を全うすることを考える必要もある。遠征をどうするかということも含め、審判として成長するために欠かせない経験ができるようになる。
審判は選手とはちがう生き物だ。選手はボールを見るが、審判は次に両チームの選手が相まみえそうな「争点」を予期してその近くにポジションをとる。審判としての新たな人生が、御厨さんの眼の前に広がっている。

山愛からは「5年後にこちらの仕事を選ぶこともできるくらいに成果を挙げていきなさい」と言われているという。社会人として、あるはレフェリーとして、自信をつけた5年後の御厨さんはどちらの路を選ぶのだろうか。
「2015年の7月から審判を始めて2020年の夏がめど。そこまでにプロフェッショナルレフェリーになっていたい。審判をやっている方には『何言ってんだ(笑)』って言われちゃいますけれど、ぼくは本気です。五年後よりも先ですか? うーん......そうですね......御厨貴文とはこういうものだ、という生き様を見せたい。だからサッカー選手にもなった。サッカー選手の価値を高めることが大きな軸で、そのひとつに自分の存在を示したいということがある。プロフェッショナルレフェリーになって活躍する、そこに辿り着くまでに身につけなけれないけない能力は何にでも転用できると思っているので、まずはいま置かれた環境のなかで身につけるものをしっかり身に着けたい。そして軸をブレさせずに進んでいけば、自ずとやるべきことが見えてくると思っています。だから全然不安はありません」

サッカーの経験が社会で役立つということを示せば、世間がサッカー界に向ける視線が変わり、サッカー選手をビジネスの戦力として考える企業も増える。Jリーガーからプロフェッショナルレフェリーへ、現役を引退した元プロサッカー選手が働きながら審判をめざすその道程の果てに、ポジティヴな未来が訪れるかもしれない。サッカーの価値を高めたいという御厨さんの願いが叶うまで、彼の戦いはつづく。

後藤 勝(ごとう・まさる)

サッカーを中心に取材執筆を継続するフリーライター。FC東京を対象とするWebマガジン『トーキョーワッショイ!プレミアム』を随時更新。著書に小説『エンダーズ・デッドリードライヴ 東京蹴球旅団2029』(カンゼン刊)がある。

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Donyell(IP:188.143.232.27)

The ref was supposedly looking for the title belt near the time keee2rp17;s table and when he didn’t see it over there he made the logical assumption that the belt had been moved prior to the match concluding.

2016年8月23日 09:04

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