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セルジオ越後のただごとでない特殊能力(えのきどいちろう)

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セルジオ越後のただごとでない特殊能力(えのきどいちろう)J論プレミアム

タグマ!サッカーパック』の読者限定オリジナルコンテンツ。『アルビレックス散歩道』(新潟オフィシャルサイト)や『新潟レッツゴー!』(新潟日報)などを連載するえのきどいちろう(コラムニスト)と、東京ヴェルディの「いま」を伝えるWEBマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を運営する海江田哲朗(フリーライター)によるボールの蹴り合い、隔週コラムだ。
現在、Jリーグは北は北海道から南は沖縄まで58クラブに拡大し、広く見渡せば面白そうなことはあちこちに転がっている。サッカーに生きる人たちのエモーション、ドキドキわくわくを探しに出かけよう。
※アルキバンカーダはスタジアムの石段、観客席を意味するポルトガル語。

セルジオ越後のただごとでない特殊能力(えのきどいちろう)[えのきど・海江田の『踊るアルキバンカーダ!』]十八段目

▼セルジオ越後がアイスホッケークラブの代表取締役になった理由

先日、飲みの席で「セルジオ越後はなぜあんなに辛口なのか?」という話になった。僕は笑って聞いていたんだけど、ひとり若手のライターの子が「あの人は普段テレビに出てるとニコニコしてるじゃないですか。だけど、サッカーのことになるとブラジル人に戻ってしまうんですよ」と言った。それから新聞記者の知人らが「サンデーモーニングの張本勲との比較」を論じ始めた。皆、スポーツについては詳しいライター、記者さんなんだけど、僕とセルジオさんがもう20年近く、濃密につき合ってることを知らない。

で、「僕、日光アイスバックスでセルジオさんとしょっちゅう顔を合わせてるんですよ」と言ったら皆、えっという顔をした。たぶん日本でいちばん頻繁に会ってるサッカー評論家だろう。但し、サッカー評論家としてお会いしてたのは00年代の中頃までで、それ以降はアイスホッケークラブを再建する仲間なのだった。何と「辛口サッカー評論家」は貧乏アイスホッケークラブの代表取締役なのだ。まぁ、一般的な言い方をすれば社長さんかオーナーだろう。但し、可能な限りベンチに入る。だから僕が頻繁に顔を合わせている場所はアイスリンクなのだ。

なぜサッカー評論家がアイスホッケー関係者になったか説明すると話が長くなる。セルジオさんが好んで言うのは「えのきどさんにダマされた。温泉付き1泊2日でどう?、って誘われたのよ」だ。僕はスカパーの仕事でセルジオさんと仲良くなった折、いっぺんアイスホッケーの選手と会ってやってくれないかと頼んだ。ジャンルは違うけれど、若い選手らの勉強になると思ったのだ。で、日韓W杯直前だから02年の冬、セルジオさんにアイスホッケーを見に来てもらった。セルジオさんはアイスホッケー選手が新鮮だったようだ。「Jリーグの選手とはぜんぜん違ったのね。僕が日本に来た頃の日本リーグの選手に近い」

あぁ、なるほどと思った。マイナージャンルのアイスホッケー界は「Jリーグ発足以前のサッカー界」か。セルジオさんはそれからしょっちゅう日光へ遊びに来るようになる。ホッケー選手らとフットサルの試合をやったり、自分の現役時代の話を聞かせたり。セルジオ越後という人は世間的には高級なスーツを着て、芸能人といっしょにテレビ局のスタジオで暮らしているもんだと思われてるが、基本的には「手弁当」の人だ。テレビ局が用意したダンドリのなかで人生を送ってきたわけじゃない。自分で動いて自分でやり方を見つけてきたパイオニアなのだ。有名な「さわやかサッカー教室」はまさにそういうものだ。

「現役を引退して、僕は日本でサッカーで食べていこうと思ったのよ。仲間に相談しても皆、「セルジオ、それは無理だ。サッカーでは食べられないよ」と言った。まだ日本リーグの時代で、企業の抱える実業団チームしかない頃ね。サッカー教室で全国をまわろうと思ったの。全国の子どもにサッカーを教える。それで僕はおにぎりぐらいは食べれると思ったのね。仲間はステーキ食べることが『サッカーで食べていくこと』だと思っていたの」

高級なスーツを着てるセルジオさんしか知らないとイメージ自体ができないけれど、「日本サッカーの伝道師」だった頃、セルジオさんはカツカツでも自分の好きなことで食べていければいい、ぜいたくしなければ(サッカー冬の時代の日本でも)可能だ、と思って行動してきた人だ。システムができ上がり、それなりに産業化した今のサッカー界の感覚とはぜんぜん違う。

▼特殊能力とさわやかサッカー教室の関連性

で、話は飛んで、ドイツW杯の後だから06年か、日光アイスバックスは深刻な経営難に襲われ、シーズン途中で運転資金がショートする事態に立ち至るんだ。遠征費用が底を尽き、途中撤退も止む無しかというところまで行った。僕はファンによる支援募金を立ち上げて、呼びかけ人になる。そのときにセルジオさんが「じゃ、僕も企業やマスコミに呼びかけるよ。えのきどさん一緒に行こうよ」と言ってくれた。いや~、僕も慣れないスーツを着て、あちこち頭を下げてまわったのだ。1か月で1千万近く集めた。

で、話はここからが本題。セルジオ越後の特殊能力に僕はそのとき気づいたんだ。

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